先日、職場で外国人の後輩の子がこんな話をしました。
端的に言うと、ある先輩スタッフ(S君)がその子(Aさん)のお友達が社宅の駐車場に車を停めるやり方に不満をもらしたそう。
大変ですね。と声を掛けたところ、「なにそれ、君、友達でしょ!?」と怒り気味に言われたと。
Aさんにとっては、いくら友達であっても自分はその問題に関わっていないし、
いざこざを大きくしたくない、誰であろうと仲良くありたいし、ということで
「友達だけど私には関係ありません」と伝えて、さらに火に油を注いだと。
実は私は以前からAさんに対する不満をS君から聞いていました。
Aさんが頻繁にお友達の車に乗せてもらってることを知っているS君にとっては、ルールを無視して駐車している状態で車から降りてきたのも見ているし、知らないはずがないと、関係がないはずがないと思ってる。
AさんはAさんでネガティブな事に関わりたくないということで我関せず、を主張。
ここまで読んで、どのように感じるかは人それぞれですが、
私としては、喧嘩両成敗です。
S君は典型的な日本人で、自分の思っていることを相手にはっきり言わず違うところで不満をこぼしてしまう
Aさんは嫌な事は自分で処理しなさいと両親に教えられて育ったから、嫌な事は表に出さないと決めていて、S君含めその他の人達がちょくちょく文句を言ったり、「だからあの人は悪なんだ」と決めつけている人達を見ると、私はそんなことしないと。
お互いに自分が持ってる「正義」を知らず知らずのうちに相手に押しつけてしまう。
S君は「言わない正義」により愚痴をこぼすという副反応が生じる。
Aさんは「マイナスの感情を表に出さない正義」により愚痴をこぼす人が許せないというマイナスの感情が生じるという副反応が生じる。
自分が生まれ育った環境で作り上げられた当たり前だと思うその正義を、どうやって覆すか。夫婦の関係も、子育てをしていてもよく考えることがあります。
自分が信じているものって、どんなに美しくても、相手にとっては足かせだったり、壊れやすくてすぐ使えなくなっちゃうおもちゃだったり、まったく意味をなさないもので捨ててしまっても惜しくないものかもしれません。
それを知った時、自分はどんなアクションに出るのか。
私は、眉をピクリとも動かさず静かでいたいと願っていますが、まぁきれいごとです。
息子には怒るし、夫には不満をぶつけるし、会社では愚痴をこぼすこともあるし。
それでも理想の自分は別として、たまには自分の感情を素直に出すことも、大事だったりするかなと思います。
だって、この約30うん年、それが出来てなかったんだもん。
ただ、相手の正義は何だったのか、自分の正義を振りかざしていないか、考えることができるだけでもっと優しくなれるかなと思います。
そんなことを考えたりしました。
今日はここまで。See you next time!
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