誰かを助けたい、人の役に立ちたいの正体

自分の気持ち

最近思うこと、それは、子育てが落ち着いてリタイアする年齢になったら
「困っている誰かの助けになりたい」ということ。
自分がやりたいことを一生懸命やって、やり切ったらあとは自分が最低限生きられるだけのお金だけで生きて残りの時間、人生を次世代の人達に捧げるんだ!そう思ったりしていました。

でもそれが本当の、自分の「本心」なのかがわからなくなる出来事が起きました。

隣に住むおばあさんが足の手術で3週間ほど入院することになりました。同居する年の離れたお兄さんは一人で生活できるほど動けるわけではないので、介護施設へ預けることに。飼っている2匹のネコをそのまま家に残すことになりました。

そこで私に、毎日家に入ってネコのえさと水やりを頼みたいとお願いしてきました。近所は他にいないし、やるしかない状況だということで引き受けたのですが、この時の私の気持ちはかなり恐ろしいものでした。

私だって週5日子供預けて仕事してるのに正直負担だよ。お隣と言っても坂を上って歩いて片道5分。いつも帰ってきたらなんとか1時間で子供を風呂に入れご飯作っているのに、更にやること増えるのか。

それに私ネコアレルギーだし、山暮らしのネコだから爪切ってないし。

二人に恩があるならまだしも、今まで何か助けてくれたわけでも手伝ってくれたわけでもないし…息子が生まれた時だって何か手伝ってくれたわけでもないのに。

更に夫は別の仕事を頼まれ(ひと冬分の薪用の丸太をチェーンソーで切り分ける仕事)、夫はあの量だと仕事から帰ってきて毎日やっても1か月かかるだろうと。
おじいちゃんが体動けなくなってチェーンソーが使えなくなったってことは、毎年旦那がやらなければいけなくなるのも目に見えているし。
最終的に薪割りまで頼んでこられるとさらに負担が増える…勘弁してほしい。

まさか私たちにおんぶにだっこするつもりで考えてないよね。無理無理。

毎回断ってるのに除雪代と称してお金を渡してくるけど、それなら病院代がいっぱいかかるだの、施設の入居費がいっぱいかかるだの、お金の不安を私に言うべきじゃない。私はあなたの心のケアラーではない。
物質的に甘えて、精神的にも私たちに甘えていることに気づいてほしい。

言葉にするとこんな感じでした。こういう気持ちを文字に起こすってなんだかどっと疲れますね。

そう、私は「誰かを助けたい」「誰かの役に立ちたい」と思い描きながらも
その「誰か」は誰でもいいわけじゃない。その「誰か」を選んでいるんです。

その奉仕の気持ちに美しさのかけらもありませんでした。

人の役に立ちたいという気持ちは、もちろん無駄ではないと思います。
行動を起こして結果的に誰かを結果的に救うこともあるし、尊いことだと思います。

でもこれって、エゴな自分から来ているんだなと一度立ち止まって考える機会になりました。

じゃあ、「将来困っている人に自分を捧げたい」と思っているこの気持ちって何なのか。

実は最近、自分より年上の人達が、気づけば自分の若かりし頃の話ばかりしていたり、若い感覚や新しい意見に抵抗を感じていたり、「自分の時代はそんなものなかった」といい年してつい子供に返って妬みを吐き出してしまう人がいたり、「子供にばっかりお金かけるなんて、こっちだって苦しいのに」と政府に批判する高齢者がいたり、保守的で排他的だし年老いてまで自分の事しか考えていない人が多いなと感じるようになりました。

また、いつまでたっても自分がされた教育からアップデートできなくて、それを今の子供にも当てはめてしまうとか。体罰をしてくるような毒親だったのに、それしか知らないからって子供はこうあるべきを子供だったりパートナーに主張して結局本人も毒親に成り下がってしまっているに対して辟易していた自分がいました。

誰もが年を取ると自然とそうなりますよね。かなり意識して自分を振り返らないと気づかないことだと思います。

自分はそういう年の取り方はしたくなくて、そういう人たちを「反面教師」にしていました。

私は違う、私は年を取ったら自分の事ばかり考えずに、若い人たちに貢献できる高齢者になりたいんだと。

一見素敵な事のように見えますが、でもそれは、「まわりの反面教師と同じではない私、1歩進んでいる私ってこんなにすばらしいでしょ」という優越感からでした。

そう、反面教師の方々は、私の教師なんだから、私に「示して」くれているだけ。そこから学べばそれでいいだけ。

そして詰まるところ、私は誰も助けたいとは思ってない、というのが今気づけてよかったです。

いつもニコニコなおばあちゃんとして支援センターのボランティアみたいな立場で子供に携わりたいなんて妄想してましたが、私は、年を取ったら孫同然のかわいい子供たちをチヤホヤしたいだけなんです。

それに、年とっても素敵な家に住みたい。いつまでも身なりを整えるくらいの生活の余裕が欲しい。旅行もしたいしたまにはちょっと贅沢なごちそうも食べたい。年とってもそういう欲望は持ちつづけますよ!

「誰かを助けたい」という大義名分の原因がクリアになったので、自分の理想の暮らしをして子供達をチヤホヤできる、そんな老後を送れたらいいな、なんて今から夢見ておくことにします。

そのためにはもっとがんばらなきゃ。

きょうはここまで。See you next time!

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