度胸がない私

自分の気持ち

私がよく引っかかる言葉、それは「度胸」という言葉。

実は息子が生まれた時に産後うつになりまして、体力的にも精神的にも辛い時に
来てくれた産後ケアの助産師さんから帰り際にこういわれました。

「女は度胸、子育ては度胸だよ」

どんと構えなさいという意味で勇気づけたんだと思いますが
初めての子育て、もう何か月もまともに寝てなくて、精神状態もおかしくて、何をやっても泣き叫んでいる息子を目の前にこれ以上どうしたらいいかわからない状態で、もう不安という感情しかなかった状態の私に度胸って…
度胸なんてどうやって持てばいいんだろう。その言葉の無責任さを感じました。

度胸という言葉は、すでに度胸がある人、例えばバンジージャンプ好きな人なんかに「度胸があるね」と言うのは誉め言葉になりうると思いますが
目の前のことに自信がなくて不安で度胸が持てない人に「度胸だよ」って励ますのは、すごく遠い世界の話をしているように思います。

おそらく、そう声掛けができる人は、自分に屈せず人一倍努力して自分で何かを積み上げてきた実感がある人なんだと思います。

また、先日ふと見つけた英語学習のブログで、スピーキングを向上させたいなら度胸は必要だとおっしゃっている方がいました。

確かに、英語が話せるようになるためには「度胸」って必要だと思うんです。

失敗を恐れない度胸。通じないかもしれない、相手の反応が想像できないことへの恐怖に打ち勝つ度胸。うまくしゃべれなくても堂々としていられる度胸。


こういうのって才能、経験、本人の努力だったりして、数か月でネイティブとお友達になるくらい話せるようになったりしている人を見て、あーすごいな、私もその度胸ほしいな、とうらやましく感じてしまいますが、相手の度胸レベルと自分の度胸レベルを比較せず、自分の度胸レベルを増やしていきたいものです。

ちなみに私が今まで生きた約40年間で、度胸が付いたと感じる要因は「経験」と「正しい知識」でした。

経験することでこの場合は何をするのか、どうアクションを起こすのかを知ることができます。わかっていることはある程度安心できます。想像ができるので。

知識は前もってある程度知って理解することでどうすればいいか考えておくことができます。

それ以外の持って生まれた、何にも知らなくてもどんどん挑戦できたり、どんと構えて受け止められるような人達の持つ度胸は、個人の気質もあるだろうし、幼少期の親との関わりで培われたものなので、それがない人に求めたところで結局「のれんに腕押し」です。


なので、度胸を持つように言われて「ん?」と感じたら、「ありがとう、でも自分は度胸がなくても生きていけるから大丈夫」と自分に声をかけようと決めました。

実際に、子育てにおいても育児書や誰かが発信している情報を読みあさってから実践するタイプで、子育てする度胸は少ないほうだと自覚してますし、英語学習でもスピーキング力を上げたいと思って自分からネイティブに話しかけたり、まだまだ頻繁にオンライン英会話をするほど度胸はありませんが、自分はこれでいいんだ、自分がいいならいいんだと言い聞かせるようにしています。まずは自分なりのアプローチで臨む。そしてダメだと思う自分をしょい込まない、常に自分は自分の最強の味方でいる、なんてことかなと思います。

ということで今日はここまで。See you next time!

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